みんなの震災に対する思いを投稿してください!
キッズなんでも相談にも、震災に関する多くの相談や応援コメントが寄せられました。
10年が過ぎた今、みんなの震災に対する思いや考え、未来のために何ができることを考えてみませんか?
みんなの思いを投稿してください!
【みんなのやさしい気持ちがたすけあう力に~東日本大震災から10年~】
みんなの答え
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なんの役にも立たない
私は、震災があった時当時一歳でした。 なのでそこまで記憶はあるりませんが、 今テレビで見るとこんなに大きな震災でどんだけ怖いものかを知れました。 ですが毎年思うことがあります。それは 自分たちは震災の被害がないからといって自分は関係ないと思う人がいることです。被害に遭われた人達は、すごく困っているのに関係ないと思う人は、どうかと毎年思います。なのでこれから先、どうしたら被害にあった人々の役にたてるかを3月11日はしっかり考えて過ごしています。
続きです
しかし大阪北部地震が起きたことで、ブロック塀の怖さを知り、改善することが出来ました。 かといって、何も悪いことをしていない大切な1人の女の子を犠牲にしたことは忘れてはいけません。 私は大阪北部地震で、たくさんのことを学びました。 阪神淡路大震災,東日本大震災には強さは劣っていますが、たくさんの人が苦しみ悲しんだ地震でした。 もし、この地震が起きなかったらガキ大将的な子と仲良くできなかったかもしれません。けれどこの地震が起きなかったら1つの命を奪われることなく当たり前に生きれたんです。 私がこの地震で学んだことは当たり前の有り難さです。 当たり前に見れてるテレビ,当たり前に出てくる水道水、当たり前に電気がつく……この当たり前が大阪北部地震では当たり前ではありませんでした。 なのでみなさんも当たり前を大切にし、自分の命が守れるよう精一杯頑張って欲しいと思います。
大阪北部地震……
私の住んでるところは大阪北部地震の震源地でした。委員会でのあいさつ運動で朝早く学校に向かいました。学校に着き教室に向かおうとしたその時地震が起こりました。急に揺れてとてもびっくりしたのを覚えています。何とか教室に辿り着き、クラスの子とどうしようと話していたその時階段の扉が閉まってしまい、私たちは学校の最上階に閉じ込められてしまいました。クラスの子達とどうしようどうしようと焦っていた時、クラスのガキ大将的な子が「大丈夫か!お前ら!」と言い階段の扉を蹴って開けてくれた時どんなに安心したか忘れられません。クラスの子とランドセルなどの持ち物の事など忘れて無我夢中で階段をおりました。それからのことは思い出したくても思い出せません。あっという間に時間が過ぎていきました。私が家を出るまでは綺麗に本が片付けられていた本棚、私が何気なく触っていた時計……色々な物が原型がわからなくなっているのを見て、私は絶句しました。ニュースで、同級生で同じ市に住み同じ目的で学校に行ってた女の子が亡くなったのを見て、もしかしたら私がこうになってたかもしれないと思うと凄く恐ろしくて身震いしました。 続く
もう少し二度と
私が一才の時にそれは起こりました。全く覚えてはいませんがテレビなどネットで見てその恐怖を覚えました。 家族からも話を聞いた事があります。 今からその話をしようと思います。 兄が中学生の卒業式の準備をしていました。六時間目の終わりのチャイムがなったと同時に、感じました。今まで感じた事の無い揺れを。幸い私たちの家族は関東に住んでいて大丈夫でしたが、テレビでその悲惨さを見て絶望しました。波に呑まれる街。助けを求める人の声。とても恐ろしい事ですが、私は忘れてはいけないと思いました。数年後にテレビで見た事ですが、何千人、何万人もの人が命を落としました。ご遺族や亡くなった方の事も東日本大震災の事も絶対に忘れてはいけません。いつでも、どこでも避難できるように備蓄を用意しましょう。もし家族や親戚と離れて胸が苦しくなっても生き残りましょう。"もしも"の事を一番に想定しておをましょう。今を精一杯楽しみましょう。 ここまで読んでくれてありがとうございました。
切ないです
私は全然覚えてませんが、一歳の時に起こったそうです。親から聞きましたが、大急ぎで私の保育園に来てくれたそうです。 そんなことを思い出すと、なんだか切ないです。
阪神淡路大震災
私は神戸生まれなので、5年の時に震災の学習をしました。兵庫は、震度5・6ぐらいだそうです。お母さんたちも被災者なので、みんなそこそこ防災の対策をしています。クラスのみんなで調べたことを発表しあって、避難バックや非常口の位置確認もしています!でも大規模の災害が起こることもあるので、ちょっと怖いです・・・
地震
東日本大震災の時はまだ2歳であまり覚えていません。 ですが、今回テレビなどで震災当時の映像を見ると 「十年前にこんなことがあったのか」 と怖くなりました。 と同時に、揺れの画像を見て、四年前に起きた熊本地震のことが脳裏をよぎりました。 あのとき、私は小学二年生で、次の日の遠足を心待ちに早く寝ていました。 その夜、ベッドの上に円形の蛍光灯が落ちてきた音で私は目を覚まします。 危機一髪で助かりましたが、あの時寝ている場所が5センチでも違ったらと思うと身震いがします。 その後は、車の中で一夜を過ごしました。近くの公園にはたくさんの人が集まっていました。 朝になると家の周りに悲惨な光景があらわになり、私はずっと泣いていました。 家は、戦後すぐにできた古い一軒家でしたが、何とか全壊を免れました。 テレビで地震速報がある度またあの日のようなことが起きるのではないかと怖くなります。 起きるはずがないと言われていたこの熊本で、そのまさかで、本当に起こったんです。 みなさんも他人事と思わないでください。 あなたのところにもいつ来るかわからないのですから。
答えます
あまり良くないと思うのですが、一人の命も救えないのに「地震があったら守るから」とか希望を持たせといてそれで助けられなかったらの話ですよね。ほんとに人の命を守れる人が「守る」と発言したほうがいいと思います。簡単に言えば出来ないのなら言うなということですね。
備えが必要
あの日私は2歳で記憶が全くありません、けれどこのことのせいでたくさんの人が命を失い傷ついた日だったと言うことは分かっています、、、 たくさんの人の大切な時間を奪った災害が憎いです。 こんなことが二度と起きないようにと願っても、災害はいつおこるかわからないので備えは大事だと思います。
忘れられない
海沿いに住んでいます。津波は来ませんでしたが、高台に避難しました。 怖かったです。家は、無事? 天井が割れていた。 食器は、ほとんど全滅。 私の母のガラスの置物コレクションも19個割れて3個奇跡的に残りました。